関西 /
大阪府 /
大阪市東住吉区山坂5-11-21
大阪発達総合療育センター/南大阪小児リハビリテーション病院 (社会福祉法人 愛徳福祉会)
子どもたちが過ごしやすい社会に貢献したい
大阪発達総合療育センター/南大阪小児リハビリテーション病院 (社会福祉法人 愛徳福祉会)
関西 /
大阪府 /
大阪市東住吉区山坂5-11-21
片倉聡美
- 役職
- 経験3年目以上
- 卒業校
- 東海大学健康学部看護学科
看護師になったのは、私自身子供の頃に入院した経験から頑張る子どもたちを応援したいという夢を持ったからです。
看護学校を卒業したあと大学病院で3年間働いていましたが、結婚を機に大阪に移りました。そこでも大学病院で3年勤務しました。その6年間はずっと小児科に勤務ですね。急性期で重症の子どもとの関わりの中、障がいを抱えて退院していく子どもたちがこの後どういう生活をしていくのかすごく気になっていました…。
小児科で勤務していると、担当していた子どもが亡くなることもあります。
最初は本当に辛かったですね。特に、長い経過を経て亡くなった際は「何もしてあげられなかった」という無力感に苛まれました。
けれどケアについて話し合う場面でご家族から感謝の気持ちをいただいたり、
先輩から「ここがよかったよ」というフィードバックをもらうことで「また頑張ろう」と思いました。
他にも…印象に残ったことがあります。
高校生の男の子を受け持った時です。反抗期でしたし、彼自身も親御さんとの関係が良くありませんでした。男子の思春期って…いろいろあるじゃないですか(笑)
退院後のセルフケアもしていかないといけない状態だったので、それを自分で認識してもらうために真正面からぶつかって。
時には喧嘩しながら家で治療する重要性を指導しました。彼の入院期間はそんなに長くありませんでしたが、この経験を通して私の看護観も変わりましたね。
出産を機に一度臨床を離れたこともあり、病気を抱えながらもリハビリを頑張る子どもたちの力になりたい、と思い大阪発達総合療育センターに入職しました。
一番のきっかけは子供たちとゆっくり関わる時間を持ちたかったからです。今まで勤めていた大学病院で診てきたのは厳しい状態の子どもたちが多く、この病院に見学に来た時に穏やかな状態の子どもたちとゆっくり関わっていることがとても印象的でした。
現在勤務している病棟は、肢体不自由児病棟といって、リハビリの入院をしている子供と、手術で来られる子たちがいます。入院期間も様々ですね。
当初は自分で話せない子たちが沢山いることにすごく驚きました。以前急性期の病院にいたときは身体の状態やモニター上の状態で判断してしまっていたのですが、この病棟の人たちには小さな変化に気づく力があります。
しぐさや表情ひとつで気持ちを引き出すことがすごく上手。
自身の経験から会話のないコミュニケーションや話せない子が出しているサインを、五感全部を使って感じ、小さな変化に気づく重要性に気づきました。
この先も看護観として大切にしていきたいです。
現在は子どもたちとの関わりの中で自己研鑽していくことが目標です。
そうですね…。
私たちは入院生活よりも「早く家に帰りたいだろう」と思うのですが、いざ退院するときに「帰りたくない」と言う子が半分くらい居ます。ここにいるのはハンディキャップがある子なのですが、実際に社会に戻った時、健常な子の中の障がい者に戻ってしまう…。
そこにストレスを抱えて生きているのかなと感じました。
私は保健師の資格も持っているので、そういった中で将来的にはそういう子どもたちが生きやすい社会作りに貢献していきたいなと思います。
今はこの病棟で子どもたちの特性について学び、小さな変化に敏感に気付いて環境を整えられるような看護師になりたいです。
この病院の魅力は他職種と働き色んな目線で意見を聞くことができることです。
栄養士さんやリハビリ、歯科衛生士さんや保育士さん、みんな見方が違うので私自身利用者さんを診る視野がとても広がりました。ケア1つするにしても、「保育でこんな遊びをしているからその後の方がいい」など的確なアドバイスがもらえ、看護に理論づけができるんです。
院内は風通しが良く、みんな優しくて、子どもたちの環境を作るために精一杯力を合わせて頑張っています。
入院している子供たちを心から「頑張れ!」と励まし合う優しい雰囲気です。この雰囲気、私自身も好きなんですよ。
看護学校を卒業したあと大学病院で3年間働いていましたが、結婚を機に大阪に移りました。そこでも大学病院で3年勤務しました。その6年間はずっと小児科に勤務ですね。急性期で重症の子どもとの関わりの中、障がいを抱えて退院していく子どもたちがこの後どういう生活をしていくのかすごく気になっていました…。
小児科で勤務していると、担当していた子どもが亡くなることもあります。
最初は本当に辛かったですね。特に、長い経過を経て亡くなった際は「何もしてあげられなかった」という無力感に苛まれました。
けれどケアについて話し合う場面でご家族から感謝の気持ちをいただいたり、
先輩から「ここがよかったよ」というフィードバックをもらうことで「また頑張ろう」と思いました。
他にも…印象に残ったことがあります。
高校生の男の子を受け持った時です。反抗期でしたし、彼自身も親御さんとの関係が良くありませんでした。男子の思春期って…いろいろあるじゃないですか(笑)
退院後のセルフケアもしていかないといけない状態だったので、それを自分で認識してもらうために真正面からぶつかって。
時には喧嘩しながら家で治療する重要性を指導しました。彼の入院期間はそんなに長くありませんでしたが、この経験を通して私の看護観も変わりましたね。
出産を機に一度臨床を離れたこともあり、病気を抱えながらもリハビリを頑張る子どもたちの力になりたい、と思い大阪発達総合療育センターに入職しました。
一番のきっかけは子供たちとゆっくり関わる時間を持ちたかったからです。今まで勤めていた大学病院で診てきたのは厳しい状態の子どもたちが多く、この病院に見学に来た時に穏やかな状態の子どもたちとゆっくり関わっていることがとても印象的でした。
現在勤務している病棟は、肢体不自由児病棟といって、リハビリの入院をしている子供と、手術で来られる子たちがいます。入院期間も様々ですね。
当初は自分で話せない子たちが沢山いることにすごく驚きました。以前急性期の病院にいたときは身体の状態やモニター上の状態で判断してしまっていたのですが、この病棟の人たちには小さな変化に気づく力があります。
しぐさや表情ひとつで気持ちを引き出すことがすごく上手。
自身の経験から会話のないコミュニケーションや話せない子が出しているサインを、五感全部を使って感じ、小さな変化に気づく重要性に気づきました。
この先も看護観として大切にしていきたいです。
現在は子どもたちとの関わりの中で自己研鑽していくことが目標です。
そうですね…。
私たちは入院生活よりも「早く家に帰りたいだろう」と思うのですが、いざ退院するときに「帰りたくない」と言う子が半分くらい居ます。ここにいるのはハンディキャップがある子なのですが、実際に社会に戻った時、健常な子の中の障がい者に戻ってしまう…。
そこにストレスを抱えて生きているのかなと感じました。
私は保健師の資格も持っているので、そういった中で将来的にはそういう子どもたちが生きやすい社会作りに貢献していきたいなと思います。
今はこの病棟で子どもたちの特性について学び、小さな変化に敏感に気付いて環境を整えられるような看護師になりたいです。
この病院の魅力は他職種と働き色んな目線で意見を聞くことができることです。
栄養士さんやリハビリ、歯科衛生士さんや保育士さん、みんな見方が違うので私自身利用者さんを診る視野がとても広がりました。ケア1つするにしても、「保育でこんな遊びをしているからその後の方がいい」など的確なアドバイスがもらえ、看護に理論づけができるんです。
院内は風通しが良く、みんな優しくて、子どもたちの環境を作るために精一杯力を合わせて頑張っています。
入院している子供たちを心から「頑張れ!」と励まし合う優しい雰囲気です。この雰囲気、私自身も好きなんですよ。